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1999年2月 長野市民吹奏楽団の第2回ウィーン演奏会がありました。

それに参加した僕たち夫婦の旅行記を作ります。

1999年3月 倉崎 昌浩

2月19日(金)

午後8時 長野駅東口に集合、そこからバスで成田へ向かいました。

この時からすでに僕の体調はすぐれませんでした。どうも熱っぽく寒気がしたので、宮内さんから風邪薬をもらって飲みました。

深夜1時ホテル日航ウインズ成田に到着。(明日は全日空なのになぜか日航ホテル)

 

2月20日(土)

朝起きるとやはり具合が悪い。(裕子:どうする、行くの止める?)

朝食後みんなより一足先に成田空港へ向かい、空港内のクリニックへ行きました。

そこで体温を測ると、38.3度。(わー大変、調子悪いわけだ)

注射を一本と一週間分の薬をたっぷりもらいました。

でも旅行保険がいきなり効果を発揮、お金を払わずに済んじゃいました。僕は旅行中によく体調を崩すので、旅行保険は必ず入ります。そしていつもしっかり元を取ってます。

11時30分発 全日空285便(オーストリア航空との共同運行便)でウィーンへと向かいました。フライト時間は約12時間。

裕子は出発直前に、帽子とマフラーを落としてしまい「ウィーンへ着くまでにマフラーを編むんだ」と言ってせっせと内職してました。

僕は飛行機の中でワインを飲んでしまったのが、だめを押しました。かぜの熱と急激に回ったアルコールで吐き気をもよおし、シートの上でのた打ち回りました。周りの人には大変迷惑を掛けたと思います。後ろのシートの池田団長ごめんなさい。特に裕子にはごめんなさい。

予定通り午後4時(現地時間。日本との時差はマイナス8時間です)にウィーン空港に到着。バスでホテルに向かいました。ルネッサンス ウィーンという、シェーンブルン宮殿の近くにある、ピンクの外観をしたきれいなホテルです。部屋に入ってすぐバタンキュウ。

 

 

2月21日(日)

市吹のメンバーはみんなで市内観光に出かけました。しかし僕たちはパス。

とにかく体調を戻すことが先決と、テレビでスキーのジャンプ見ながらおとなしくしていました。日本の船木や原田がいましたが、あまり映っていません。(ここはオーストリアだもんね)

昼食はホテルのレストランで取りました。今日は日曜日でビュッフェスタイルのランチになっていました。なかなか豪華な料理が並んでいて、目移りして困るほどでした。
ところが席を立とうとしてびっくり。約1,900オーストリアシリング。1オーストリアシリングが約10円だから、えーっ、1万9千円。(高すぎるヨ)
でも良く見たら違う数字を見ていたようで、本当は1,136オーストリアシリング。それでも高かったな。(もっと食べておけばよかった)

夕方やっと外出。
楽友協会ホールトンキュストラオーケストラのコンサートを聴きました。僕が楽友協会ホールに入るのはこれが始めてです。
思っていたより中は狭いと感じました。それとニューイヤーコンサートの時のように花が飾ってないので華やかさもなく、全体に暗い雰囲気でした。(裕子は逆にとても派手なホールだといっています)
でも音はすばらしく、やわらかな、ffでもまったくうるさくない良い音でした。

プログラムはチャイコフスキーの幻想曲
Francesca da Rimini”(僕は初めて聴く曲です)それとこれも知らないヴァイオリンコンチェルト。(ERICH WOLFGANG KORNGOLD作曲、映画音楽のような曲でした)若いヴァイオリニスト(BENJAMIN SCHMID)がとってもかっこいいと裕子が言ってました。後半はメンデルスゾーンの交響曲第4番。やっと知っている曲でほっとしました。

ホールのせいでしょうか、楽器のせいでしょうか、ティンパニィが目一杯叩いているように見えるのですが、音はうるさくなく、うまくブレンドされていて見事でした。

演奏会が終わった時には外も暗くなっていて、市吹の皆はこれからホイリゲへ飲みに行くぞと歩き出しましたが、僕らはもう少し自粛しようとホテルに戻りました。

夜になってお腹が空きましたが、それから外出するのも面倒なので、ルームサービスを頼みました。2人分頼むと多すぎると思い、ひとり分のチキンとサラダを頼みましたが、それで正解。やはり2人でも食べきれないほど料理が来ました。

2月22日(月)

体調も良くなって、よし今日は出かけるぞ、と思った矢先。今度は裕子が頭が痛いと言い出しました。出かける元気も無いというので、結局この日もホテルでテレビを見てました。
裕子はずっと寝たままです。
食事は近くのスーパーからチーズや飲み物を買い込み、ファストフード(ノルトゼーという魚料理の店)で済ませました。

午後になってどうしても出かけたい僕は、裕子を残してひとりでドブリンガーに楽譜を買いに行きました。(裕子:ひとでなし〜、関空離婚だ〜)

タム・アム・ラの小林さんから依頼のあった楽譜を探そうとしたのですが、さてどこの棚を探せば良いのかわかりません。うろうろしていると、おばさんの店員が声を掛けてくれました。(かなり派手な化粧をしたおばさん)

さっそく楽譜のリストを見せて探してもらうことにしました。おばさんは一生懸命さがしてくれました、でもひとつも見つかりません。

小林さんのリクエストにはスコット社のものが多かったのですが、ドブリンガーではスコット社の楽譜はあまり扱っていないとのことでした。2〜3週間で取り寄せられると言われましたが今回はあきらめました。

打楽器関係の楽譜は、引き出し2つ分しか置いてなく、他の楽器に比べて少ないなと感じました。それにしても楽譜を探すのに現物を見ないとわからないというのは、だいぶ時代遅れのシステムですね。一般企業なら普通パソコンなんかで、どこに何があるかを管理しているでしょう。そういうところには新しい技術を導入してほしいなと、僕は思いました。(余計なお世話かもね)

さて夜8時ころ田村さんから、食事に行かないかと電話が掛かってきました。裕子はまだ出歩きたくないというので、また僕だけで行くことにしました。

田村さんと2人でホテル近くの地元の人が入っているだろう、小さなレストラン(田舎の食堂といった感じの店)へ入り、そこでようやくウィーンらしい料理にありつきました。

僕はドイツ語がまったくわからないのですが、店のおやじがいきなりドイツ語で話を始めました。なんと田村さんはドイツ語ができて、おやじとしっかり会話しています。これにはびっくり。←(田村さん、すみません)

お品書きのことを、シュパイゼンカルテというのを始めて知りました。メニューというと定食のことをさすそうです。だから僕が英語でメニューを下さいと言ったら、おやじは定食の説明を始めたのでした。

料理の味はたいしたことなかったですが、オーストリアの田舎の雰囲気は味わえました。

 

2月23日(火)

この日やっと2人揃って元気になり、市内観光に出かけることができました。

しかし前日までとはうって変わって朝から天気が悪く、時折雪が舞っていました。

はじめにお土産を買おうということで、ウィーン伊勢丹に行きました。(ここは日本語でいいからとっても便利です)たいていの物はここで揃うから、知人や会社関係のお土産はまとめって買ってしまいました。

次に裕子の帽子をさがして、ローデン・プランクルという店に入りました。ここもガイドブックに出ていたところで、結構高級品が置いてあり、なんとウン万円もする帽子を裕子は買いました。(成田で帽子を落としたのは計画的じゃないか?と疑いたくなる僕)

それから再度ドブリンガーに行きました。昨日は頼まれた楽譜ばかりを探していたので、自分用に買うのを忘れましたが、今日はアンサンブルの楽譜を3冊と、いろいろな楽器の絵が描いてあるネクタイを買いました。(帽子に比べりゃ安いもんさ)

それからデーメルというケーキやさんに行きたいと言うので、地図を見ながら歩いていきました。しかしどこかで間違えたらしくツェントラルという喫茶店の前に来てしまいました。ガイドブックにはここも伝統ある良いお店であると書いてあったので、そこに入りました。天井の高いロマネスク風のインテリアで、とても落ち着いた雰囲気の店でした。(ウェートレスの子がかわいかったです)

それから国立オペラ座にも行きました。といってもオペラを見たのではなく、オーパーの横にあるお土産やさんに入っただけです。(でも気に入ったものがなかったな〜)

 

いったんホテルに戻ったところ、どこからか聞こえてくる楽器の音で、僕ははっとしました。

そうだ僕らは演奏会をやりに来たんだ。自分は日本を出てから一度も撥を握ってない。楽譜さえ目を通してない。みんな毎日出かけてばかりいるけど、少しは楽器を触っているのだろうか?など、ふと心配になってきました。

 

とは言うものの今日はトンキュストラの柳田さんたちと、飲みに行くと約束していました。裕子はまだ本調子ではなく飲みには行かないと言うので、また僕だけで出かけました。

午後6時地下鉄カールスプラッツ駅で待ち合わせです。

集まったのは稲垣先生、深沢先生とお嬢さん、田村さん、それとつい先程ウィーンに付いたばかりの桜井さん(桜井さんは仕事の都合で、皆から遅れて一人でやってきました。空港からホテルに荷物を置いただけで、すぐ来たそうです)あとは僕と案内役の柳田さんです。

そこから地下鉄、電車、バスを乗り継ぎして約1時間ちょっと。観光案内の地図からは外れてしまうほど郊外まで行きました。

ワインケラーが何軒も続いている通りを歩いていましたが、ほとんど人通りも無く、店も閉まっているように見えました。しかし中に入ってびっくり。中にはいくつもテーブルがあり、大勢の人がワインを飲みながら楽しそうに話しをしていました。

最初に出たのは去年のぶどうでつくった、できたてほやほやの白ワイン。

(ウィーンでは白ワインが主流で、赤やロゼはあまり見かけません)

なんとも初々しいさっぱりした味のワインでした。まるでジュースを飲むかのようにいっきにいきました。そしておいしい肉料理などを食べながら、柳田さんからウィーンのオーケストラの話などを聞いているうちに、僕は良い気分でうとうとしてしまいました。

それからもう一軒、ワインケラーのはしごをしました。今度は少し年期の入った前よりは高級なワインを飲みました。僕はアルコールに弱いので、味の違いは分からないのですが、こちらのほうがお酒らしい味をしていました。←(いったいどんな味なんだ)

外に出ると空が見事に晴れ渡っていて、星がすばらしくきれいな夜でした。

(稲垣先生:ウィーンでこんなきれいな夜空は始めてだ)

桜井さんはかなりお疲れの様子で、途中の駅で突然バタリ。なんと歩きながら眠ってしまったんですって。

12時ころ部屋に戻ると裕子はもう寝てました。

 

2月24日(水)

この日はまずシェーンブルン宮殿に行きました。

地下鉄を降りてさてどっちだろうと立ち止まっていると、シェーンブルン宮殿はあっちだよと声をかけてくれた男性がいました。僕らと同じ方向に歩いていくその人は、どうもそこで働く人だったようで、宮殿の裏口から中に入っていきました。(でももしかしたら、宮殿の元の持ち主であるハプスブルク家の末裔かも。そんなことはないか)

中は博物館のようになっており、かつての大オーストリア帝国、ハプスブルク家の繁栄を示す調度や家具、美術品がそのままに飾ってありました。マリア・テレジアが中国を好きだったそうで、中国の絵や壷などがたくさんあったのには奇異な感じをおぼえました。

でも宮殿の造りって不便なところがあるなと思いました。というのは、ほとんどの部屋が一本の廊下でつながっており、廊下と各部屋の間に壁はありません。そうすると自分の部屋からよその部屋に移ろうとした時は、その間の部屋をすべて通らなければならず、その時人の部屋を覗いてしまうことになります。むかしはこんなんで良かったのでしょうか?

それとも壁はあったのだけれども、観光客に見やすいように取ってしまったのでしょうか?

(上の疑問については日本へ帰ってからわかりました。シェーンブルン宮殿ではひとつの棟が一人の物だから、全部自分の部屋なんですね。だから壁なんか要らないんだって。納得)

次は市の中心から少し外れた、プラターという遊園地に行きました。(まったく裕子に引っ張り回されています)ここは映画「第三の男」で有名な大観覧車のあるところです。

地下鉄の駅を出るとすぐに大きな観覧車が見えてきました。そこを目指して歩いていると、渡辺雪江さんたちが戻ってくるところでした。今日は観覧車が動いているよと聞き、ラッキーと思いつつ遊園地に入ると、時期のせいでしょうかほとんどお客はいません。

観覧車はひとつのかごがとても大きく、一度に20人くらいは入りそうなバスのようなサイズです。そこに僕らのほかに二組のカップルが乗り込み、高いところからウィーンの町を眺めました。(昌浩:夜景でないから、あまりきれいじゃないね)

シュテファン寺院のあたりまで戻ってきて昼食にしました。

ウィーンらしい食事をしたいね、ということでツーム・ヴァイセン・ラオファンケラーというレストランに入りました。

ガイドブックによれば200年の伝統をもつウィーンっ子に人気の店だそうです。入口は狭かったのですが奥行きがある店で、ぼくらはかなり奥のほうの席に案内されました。昼間なのに薄暗く、テーブルにはろうそくで明かりがともしてあり、壁には動物の剥製や古い食器などが飾ってあって、いかにもという雰囲気です。

メニューを見てもなんだかわかりません。それに今回はまだウィーナーシュニッツェルを食べてないことに気がつき、それを注文しました。

スープとトマトサラダ、それにワインとミネラルヴァッセ。結構食べたのに値段も安く満足しました。(裕子:またいつかこの店に来ようね)

 

さて次は美術史美術館です。ハプスブグク家の富と権力を今に伝える、壮大な建物とみごとなコレクションでした。中に入って正面の階段を上ると、目の前に巨大な彫刻があります。(テセウス群像)これひとつでいったいいくらだろう、などと無粋なことを考えてしまいました。

それと男ちんちんの所には葉っぱが付けてありましたが、その後ろに物はあるのだろうか?

と思って裏を覗いちゃいました。でも無かったです。(ちゃんと作ればいいのにね)

それにしても置いてある絵画の数は半端じゃない。(日本の美術館は恥ずかしくて美術館なんて言えないです)

裕子は絵の解説が出ているガイドブックを持っていったので、そこに出ている絵を片っ端から探して見ていました。僕は途中でついて行けなくなり、ソファーに座って休憩してました。でもめったにお目にかかれない本物の絵をじっくり見られて感動でした。

美術館を出ると、英語は分かるかと声をかけてくる男性がいました。何かと聞くと、入る時に買ったチケットを持っているかと言います。そしてそれをくれと言うので、あげました。

その男はあげたチケットを持って美術館に入って行きましたが、チケットは二度と使えないように破いてあったのに、どうしようというのでしょうか?

それにしても今日はよく動きました。ホテルへ戻った僕らは疲れはてて、結構早い時間から眠ってしまいました。夕食をどうしたのかまったく思い出せません。

 

2月25日(木)

今日はウィーンに来て初めての練習日です。(明日はもう本番、だいじょうぶか〜)

朝10時頃に借りてあった練習会場へ集合しました。

会場にはお願いしてあった打楽器が既に到着していました。

ティンパニ、大太鼓、シロフォンとグロッケンシュピール。全部アダムスの楽器が来ていました。(それは前回と同じ)でも今回のはちょっとグレードが低かった。

ティンパニヘッドが前回は本皮でしたが、今回は違いました。それに楽器自身がとても軽くて、音も薄っぺらに聞こえました。

とにかく自分も含めてみんな楽器を吹くのは久しぶりということですから、しばらくは個人練習ということになり、午前中は昼前にちょっとだけ全体練習をしました。

ここで我々に大変強力な助っ人が来てくれました。

今回はオーボエ奏者が行かなかったのですが、ウィーンのオーケストラで長年活躍されている、アルフレッド・ヘルテルさんが一緒に出演してくださることになって、練習にきてくれました。

さらにフルートもひとりしか行かなかったので、日本人でウィーンで活躍されている さんが参加して下さいました。

本場の演奏家はさすがに良い音がしていて、われわれのバンドではちょっと浮いてしまうように聞こえたのですが、時間がたつとなぜかしっくりくるから不思議です。

特にメリー・ウィドーのオーボエのソロは相当よたっていました。(う〜ん、これが本場の演奏なんだろうな)

昼になってみんなばらばらに昼食を取りに外に出ました。僕は桜井さん、斎藤さんといっしょに中華料理屋を見つけて入りました。(途中で稲垣先生たちも来ました)

これまたメニューを見ても良く分からないのですが、適当に注文したところ、ジャージャーめんがでてきて、けっこうおいしく食べられました。

食事中に聞いた話ですが、斎藤さんは地下鉄のU1からU6全部を端から端まで乗ったといっていました。それはびっくり。(彼は何しにウィーンへ来たんだろう?)

 

さて午後はいよいよトランペットのソリストを迎えて、コンチェルトのリハです。

午後2時頃、ヘルムート・デンマーさんがみえました。

長身やせがたのかっこいい人です。たちまちカメラとビデオの被写体になっていました。

さっそく一回通しました。初めてのわりには、巧くあったと思います。

ちょとテンポを修正し、もう一度通しておしまい。(あとは明日のお楽しみということ)

今回一緒に出演した打楽器のさつきさんのだんなさんがデンマーさんをずっとビデオに撮り続けていました。彼はプロのトランペット奏者ですから、きっとよい記念になったでしょう。

(そういえば練習中、ほとんど奥さんのところを撮っていたようですが、あの奥さんなら撮りがいもあるな)

アンコールにラデツキー行進曲をやりますが、最初にドラムマーチを入れることになりました。ニューイヤーコンサートでいつもやるやつです。

急にやってといわれても、楽譜もないし正確には覚えていません。あせりましたがなんとかそれらしくやってみました。

久しぶりにきっちり練習して、予定通り4時に終了。

 

さて僕らが練習に行っている間、裕子はひとりで出かけたそうです。

どこかの教会に行ったりしていたらしいのですが、そのうち“ここはどこ”状態になりました。(つまりまいごになったということ。やっぱりね〜)

適当に歩いていたら、観光バスが何台もとまっているところについて、そこはベルベデーレ宮殿でした。(本当は違うところを目指していたらしい)

ちょうど良かったとばかりに中に入って、飾ってあった絵をたっぷり見てきたそうです。

(それにしても裕子の方向音痴は困ったもので、保護者としては大変心配です)

(それから昼食にホテルのそばのハンバーガー屋で買い物をした時は、お嬢ちゃんいくつほしいの、というような子供扱いされたそうです)

 

さて夜になって裕子は急にドナウタワーに行きたいと言い出しました。

それってけっこう遠くにあるんじゃなかったっけ?とひるむ私をむりやり引っ張って裕子はホテルを出ました。

ガイドブックを頼りにとりあえず最寄りの駅まで着きましたが、さあここからドナウタワーまでどうやっていくのだろう?(タワーは遠くに見えています)

バス停にいた人に聞いてみました。すると近くにあった案内の立て看板を見ながら、この道をまっすぐ行きなさいと教えてくれました。

ところがそのとおり行ったのですが、道は途切れてしまいます。

引き返してもとの場所からもう一度歩き直しましたが、やっぱり道はありません。

もう一度人に聞いても、同じようにこの道を行けといいます。

とても人の歩くような道ではない道路に出て(車専用のような危険な道)そこを歩いていました。ちょうど通りかかったタクシーの運転手に聞いても、この道で良いと言います。

ところが教わった通りに歩いていても、道はなくなるしタワーはまだまだ遠そうだし、周りは真っ暗で恐いし、大変なことになってきました。

結局1時間以上、同じあたりを行ったり来たりしていただけで、ついにタワーに行くのをあきらめました。(もーすごい疲れた)

 

市の中心まで戻ってきて食事にしました。

ツヴェルフ・アポステルケラーというワインケラーを探して入りました。

入口を入ると石の階段を地下へ降りて行きます。地下にある巨大なレンガ作りの部屋に入りました。ここは16世紀にたてられた物だそうですが、昔は何だったのでしょう?

薄くらい部屋にいくつもテーブルがあり、大勢の人がワインや食事を楽しんでいました。

(体のでかい顔つきのごついおじさんのウェーターは恐かったです。でも日本語で“おいしい”と聞かれたのには拍子抜け)

 

2月26日(金)

ついに演奏会本番の日です。

朝から準備に忙しいかといえば、そんなことはありません。

集合時刻は午後2時、それまで自由行動です。

観光地を回り切っていない僕らは、時間を惜しんでまたまた出かけました。

 

まずはデーメル。先日探しそこなっていたので、今日はしっかりと見つけました。

お決まりのザッハトルテを生クリームたっぷりつけて食べました。(とにかく甘かった)

そして急いで王宮へ。(ウィーンは観光名所が近くに密集していて回りやすいです)

最初に旧王宮に入り、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世や皇后エリザベートの部屋などを見ました。(皇后エリザベートは美しい人ですね。それに暗殺されてしまうという悲劇性が何とも言えません。美人薄命の典型です)

寝室の隣にあるトイレが笑えます。まるでおまる。

それから王宮宝物館に入りました。

あるはあるはお宝が。これ全部でいくらだろう?とまた考えてしまいました。

裕子は目の色を変えて、お宝の宝石類を眺めていました。(時折ため息をつきながら)

すごく大きなアクアマリンが飾ってあり、つい裕子は写真を撮ってしまったのですが、写真はいけませんとおこられてしまいました。

 

ホテルに戻って準備をし、演奏会場コンツェルトハウスに向かいます。

3年ぶりのモーツァルト・ホール。(おーなつかしい)

コンツェルトハウスにはホールが3つあって、モーツァルト・ホールは中ホールといえば良いでしょう。約800人くらい入るホールです。2階席がステージの上まできていて、お客様が奏者のすぐ側まで来れます。ステージは割と狭くて、フルオーケストラが乗るのは厳しいように思います。(諏訪響が乗るには狭すぎるだろうな〜)

といってもウィーンのホールはどれも狭いようですね。楽友協会もすごく狭くて、オーケストラは隣の人とくっつくくらい近寄ってました。

日本にいるといつも新しくてきれいなホールばかりを見るので、どーもウィーンのホールは古臭く見えますが、これが伝統なんでしょうね。

 

7時頃からお客様がどんどん入ってきました。

今回は前回と違って有料コンサートだということですが、お客様の数はずっと多かったように思います。始まる頃にはほぼいっぱいになりました。

高橋仁さんがあわてて会場内を走っています。どうしたんでしょう。どうやら2階席の最前列(もっとも良い席)にビデオを設置してため席がふさがっており、お客様が座れないというクレームが入ったようです。(それほど混んできたということでしょうか)

お客様の中にはウィーンでは有名人のイェッテルさん(ウィーン・フィルのクラリネット奏者だったイェッテルさんの未亡人)もいらっしゃいました。

どうしてあの人が来ているのと聞かれた人がいるくらい、珍しいそうです。

 

さあ7時30分定刻になりました。

1曲目 フェスティバル・オーバーチュア・ナガノ(K.SCHMID)

稲垣先生のお友達でウィーンで活躍されている、シュミットさんが長野市吹のために作曲してくれた曲です。(ご本人は都合でこの日の演奏会に来れなかったのですが、息子さんが司会を務めてくれました)

いよいよ始まりました。おっと、しかしみんなどうしたんだ。緊張しているぞ。音が出てない。あー低い〜。(裕子:リハの方が良かった。拍手をもらえるかどうか心配しちゃった)

2曲目 ぺスター・チャルダッシュ (J.STRAUSS)

なんとか無難にこなして。

3曲目 トランペット協奏曲(J.HAYDN)

注目のコンチェルト。出だしはいいぞ。でも楽章が終わるたびに拍手が起こるのはどうしてだろう? おっと3楽章のテンポが速い。こんなに速く練習してないよ、だいじょうぶか〜みんな。疾風のごとく駆け抜けたコーダ。でもどうにか終わりました。大崩れもせずよくやったよ。デンマーさんのトランペットはさすがに良い音でした。

これで前半終了。15分ほど休憩。

4曲目 マイ・フェア・レディF.LOEWE

これはやりなれた曲ですから、リラックスしてできたでしょう。前半よりもだいぶ調子が出てきたようです。トランペットとオーボエも良いタイミングででました。

5曲目 ジャパニーズ・チューンS.KONAGAYA

チャーラーラン・チャーラーラー、 ウィーンノ人たちには変わったハーモニーに聞こえたでしょうね。これが日本の調べだと言われると、僕自身はそうかなーと考えてしまいますが、タイトルは「日本の調べ」です。この曲は前回も演奏しとても受けたので、今回またとりあげましたが、やっぱり受けました。これで一気に会場が盛り上がったという感じです。

さくらさくらのメロディーをオーボエのヘルテルさんがウィーン風に吹きました。

八木節が始まる直前に打楽器の4人は、真っ赤な法被を羽織り、日本のお面を頭に載せました。曲の雰囲気もがらっと変わって、太鼓がはでに鳴り響き、リズミカルになります。最後の掛け声で曲が終わると、どっと拍手が来ました。(今日一番)

法被は赤塚さんが日本から用意してくれました。昨年のオリンピックで売っていた物で、オリンピックのマスコットと長野の文字が入っています。終わってから、ヘルテルさん他にあげたようです。お面はさつきさんが用意してくれました。

6曲目 ポルカ・マズルカ (J.STRAUSS)

前の曲で張り切って大太鼓を叩いたので、僕はここでちょっと一休みという感じ。

7曲目 雷鳴と稲妻 (J.STRAUSS)

この曲で僕は今回最大のミスをしてしまいました。クラッシュ・シンバルを叩いていましたが、途中のソロをジャーンと叩いた瞬間、その風圧で楽譜が譜面台から落ちてしまいました。あわてて拾い上げましたが、大事な雷の音を2発も落としてしまいました。

やっちゃいけないと気にしていたんですが、やっちゃいました。本当にすみません。ごめんなさい。大太鼓も合わせて落ちてくれました。(さつきさん、すみません)でもさつきさんの大太鼓は良かったですね。客席でもざわざわしていたそうです。

8曲目 メリー・ウィドウ(F.LEHAR)

プログラム最後は、長野市吹お得意のメリー・ウィドウ。日本で何度も演奏した曲ですが、今回は特に良い演奏だったと思います。それぞれの楽器のソロも決まっていたし、アンサンブルも上手くいっていました。最後も良い音で終わったと思います。ワルツがワルツらしくなったのは、ウィーンに1週間いたせいでしょうか。すごい拍手です。鳴り止みません。

稲垣先生が2度3度とカーテンコールに応えています。

ですが僕はほっとしていられません。実はこの後がまた大変なんです。

アンコール

1曲目 おお、我がオーストリア

2曲目 夢の町ウィーン

3曲目 トリッチ・トラッチ・ポルカ

4曲目 ラデツキー行進曲

本当にこれが最後の曲です。先生から合図が出ました。(リハの打ち合わせと違ったけど)僕のドラムマーチから入ります。

曲が始まると会場から自然に手拍子が起こりました。ニューイヤーコンサートみたいで良かったです。とにかくうまくいきました。本当に拍手が鳴り止みません。

なんかうれしくて、もっともっと演奏していたい気分でした。皆さんありがとうございました。また来ますのでよろしく。

 

ステージで楽器をかたつけていたら、ひとりのウィーンのおばさんが僕のところに寄ってきました。そして僕のことを、とってもすばらしいミュージシャンだと誉めてくれました。体中からリズムが感じられると言っていました。(英語だったからたぶん間違ってはいないと思います)この人はピアノを教えているそうです。名刺をもらいました。

楽屋でヘルテルさんが声を掛けてくれました。ラデツキーのドラムがオーストリア風でとても良かったといってくれました。ありがとうございます。

 

コンツェルト・ハウス近くの飲み屋さんで打ち上げパーティーがありました。

とにかく盛り上がってみんな大騒ぎです。

僕たちは11時頃に先にホテルに戻りましたが、遅い人は朝まで飲んでいたそうです。

 

2月27日(土)

今日は日本に帰る日です。

朝9時、ホテルを出て空港に向かいました。昨日の今日ですから眠そうな人が大勢います。

空港では税金を返してもらう手続きに忙しかったです。でも5千円くらい戻ってきました。

1150分発 全日空機(NH1286)でウィーンを後にしました。

 

2月28日(日)

7 関西空港に到着。(関空は初めてです)

長野から迎えに来てくれた長電バスに乗って、長野へ向かいました。

9時頃に空港を出発しましたが、長野駅に着いたのは午後4時を過ぎていました。 


長い旅行が終わりました。長野市吹は本当に大きな仕事をしたと思います。

僕らもとっても良い経験をすることができました。

近い将来またウィーンに行けることを願って、この旅行記を終わりにします。

どうもお疲れ様でした。


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